粟田口近江守忠綱

  上々作 良業物




新刀(天和頃 約350年前)
公財)日本美術刀剣保存協会 
  特別保存刀剣鑑定書





長さ54.0cm  反り1.1cm 目釘穴2個
元幅3.2cm  先幅2.1 重ね0.7cm

 粟田口近江守忠綱は初代が慶長十四年の生まれで寛永年間に京都へ上がり、のちに大阪に出て、寛文頃には隠居するも二代忠綱の手を借りて延宝四年まで作刀する。 二代忠綱は初代の実子で正保元年の生れ。 寛文頃に家業を継ぎ、元禄二年以降は一竿子の号銘を使う。 初期の作風は初代同様に焼き頭のよく揃った足の長い丁子乱れが多く、後に互の目乱れや助廣の影響を受けた濤瀾刃や直刃などを焼いている。また彫りの名手としても広く知られる。
  
 姿、鎬造、庵棟、身幅広めに反りややつき、中切先。 鍛え、小板目肌細かにつみ、地沸よくつき、映り上がる。 刃文、直ぐに焼き出して、その上は足長の丁子乱れ、匂口締まりごころに小沸よくつき、明るく冴え、砂流しかかる。 帽子、直ぐに小丸。 茎、生ぶ、先刃上り栗尻、鑢目化粧に筋違い。目釘穴二。

 特別保存刀剣鑑定書には初二代の代別の記載はないのですが、寛文期を過ぎ延宝頃を彷彿させる姿、銘振り、足長丁子の焼き頭が揃う初代作よりも乱れが目立ち、匂口に小沸がよくつき、匂い深く、明るく冴えるところなど、二代の特徴が多く散見され、延宝・天和頃の二代忠綱の作と見てよいでしょう。江戸期中葉の大阪新刀の代表工で、元禄文化と融合した江戸にはない華やかさが忠綱の真骨頂です。 本作は姿、地がね、焼き刃全てに於いて華やかで、まさに忠綱の本領が発揮された優品です。