城州住藤原国重
  慶安元年八月吉日





新刀(1648年 376年前)
公財)日本美術刀剣保存協会  
   特別保存刀剣鑑定書






長さ70.0cm 反り1.8cm 目釘穴1個
元幅3.0c  先幅2.0cm 元重ね0.7cm

 城州(山城、現在の京都府)は古来より日本刀の中心地でした。
京に居た埋忠明寿(1558年-1631年)に忠吉、国広などの名だたる名工が学び、なかでも新刀鍛冶の祖と称される国広は、名人と呼ばれる多くの高弟を輩しています。 兼道、金道そして吉道等に代表される名門三品一派が権勢を誇ったのも天皇のお膝元京都でした。
 
 本作は江戸初期に刀剣技術の粋が集結した城州にて鍛刀された作。
 踏ん張りのある元幅に対して、先に行くにつれ緩やかに身幅を減じ、先中切先に結び、六分反りの美しい姿に造り込む。 地鉄、板目に杢目が交じり、流れごころをみせ、地沸が厚くつき、地景よく入り、鎬地は柾目ごころ強く、総じて地鉄の良さは判然としており、同時代の他の刀工と比較しても明らかな差が観て取れる。 刃文は明るく冴えた互の目刃文。 小沸がよくつき、尖り刃やのたれ刃を交え、小足無数に入り、金筋・砂流し盛んにかかり、帽子はのたれ込んで入り、先僅かに掃き掛け、棟側に寄って返る所謂三品帽子となる。 茎(なかご)は生ぶで、見事な錆色を呈し、勝手下がりの鑢目が残り、仕立てすこぶる良い。

 山城での制作、尖りを交える刃文、典型的な三品帽子、流れごころのある肌、茎の仕立て等から京の名門三品派であることは明白であり、抜きん出た技量からも三品主流派を感じさせます。更に、慶安頃の山城国に於いて三品派の特徴が顕著で、銘字に『国』の字を使うとなると該当するのは堀川国広の高弟出羽大掾国路ただ一人です。
本作の作風は国路に酷似しており、茎の仕立て、国の字の切り方、藤原姓を使うところなどから出羽大掾国路の門人であると推測できます。 本作の目指したところは国路が得意とした志津風の作柄であり、同工の持てる技量が存分に発揮された秀作です。
 江戸時代の豪華な半太刀拵がついており、大変良い状態で保存されています。